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Toléranceを持つということ

多くの演奏家は誰かが書いた作品を誰かの前で演奏するのが仕事。
その昔は、映画スターのように大人気の有名ヴィルトゥオーゾが時に自由奔放に自身の腕前を披露することが持てはやされたりもしていましたが、現代では、多くの演奏家が楽曲の分析や解釈、音楽学的知識を要求されていると思います。殊に古楽は、学問研究がなければ楽譜そのものが読めず、過去からの演奏方法の伝統にもあちこち断絶があってわからないことが多いため、演奏家は常に研究者でもあることを求められています。

私は音楽学の学位をもっている他、芸術哲学の分野で論文を書いて修士号を取っています。幼い頃から西洋文化全体への興味が強く、また両親ともにそうした趣味をもっていたので、音楽と同じぐらい美術や彫刻、舞台芸術に映画、文学といった幅広い文化活動に接しながら育ちましたから、文化活動の裏にあるそもそもの思考体系に関心を持つのは自然な流れ、というわけで最終的に芸術哲学の勉強をしました。
今は演奏家として曲を演奏する生活をしていますが、例えば中世の作品を歌う時には、これまで学んできた芸術哲学や美術史などの知識はそのテクストがどんな隠喩をはらんでいてどんな精神世界で歌われていたのか理解する豊かな糧となっていますし、わからないことが出てきたときの調査の仕方など、音楽学で培ったノウハウは今では演奏の下準備で必須のテクニックです。さらに留学してからアナリーズでも論文を書いたぐらいですから、スコアリーディングのテクニックも演奏家として悪くない程度に持っているはず。

だけど、どれほど知識があって、どれほど思考力が優っていて、どれほど分析能力が高かったとしても、演奏家あるいは音楽に関わるものとして、もう一つ大切なものが欠けていたなら、その人が持つすべてのメリットがデメリットになることがあります。それはToléranceです。
私自身、若い頃にはこのことに気が付かず、ずいぶんと突っ走っていたなぁと思うことが多いですし、今でも、まだまだ修行が足りないなぁと思うことが沢山ありますが、とにかくToléranceはとても大事なのです。

Toléranceは日本語では一般的に「寛容」と訳されますが、微妙に「寛容」とも違う気が私はします。
日本語が完璧な私のパートナーのフランス人にもこの話しをしましたが、確かに、「寛容」は微妙にToléranceと違うところがあると言っていました。
ざっくり言えばToléranceとは、他者の個性を尊重し、「私とは違う」ということを悪いこととして受け取らないスタンスのことだと思います。よく宗教的な差異を相互に理解して相手を許容することなどがこの語の説明に出されますが、大事なのは最終的に相手にあるがままの姿でいることを許すことではなく(むしろこの言い方だと許可/禁止の権限をどちらかが持つことになって平等ではない)、相手が違うことを嫌なこととも悪いこととも感じないことの方にあると思っています。
フランスで生活している中で、Toléranceがどれほど大切で、またどれほど尊いものか、しみじみと実感するシーンがとても多く、私もフランス人と一緒に生活するようになってから、本当にToléranceとはどんなもので、それがどれほど大切か改めて学びました。
そもそも自己主張の強烈な人々で構成されていて、さらに移民も多いフランス社会ではToléranceがなければ社会が成り立たないのだろうと思います。それぞれがそれぞれの考え方を持っていて、違うことが当たり前だし、誰が正しいとかどの考え方が良いとか、優劣はないのだ、と思っており、だからこそ誰かが自分と違うことをしてもストレスなくそれを受け入れますし、逆に自分が自分の考えで行動したいときは誰もためらわず行動します。
もちろん犯罪行為や、誰かの権利を侵害するような行為はタブーですが、日本は逆に、ちょっとでもみんなと違うことをすると仲間外れにされたり、常識がない、空気が読めない、などと言われる非寛容なところがあり、問題点も多いので、フランスのToléranceは、少なくとも私には心地よく、フランス社会の良いところだなぁと思っています。

そしてこのToléranceを基礎とした人の生き方は音楽をやるときにもさりげなく入り込んできます。

先に述べたように、現代の演奏家は作品の解釈や音楽学的知識を求められることがとても多いため、時に「正当な解釈」をめぐって意見が対立することもあります。こういった真摯な研究姿勢や音楽的探索はいつでも大事なものですが、実はこれが行きすぎてToléranceさを欠くと、それは単に個々の演奏家の個性を否定することになってしまったり、そもそも演奏活動とは何なのかという問いに対する個々人の自由な回答にNoを突きつけるだけになってしまうことがあるのです。フランスではこういう態度はとても嫌われ、それは単なるエリーティスムで排他主義だし、個人の自由を否定する行為はすべきではなく、他人の意見を尊重して邪魔するべきではない、と考えます。日常生活と同じように、音楽でも、他者に対するToléranceを持つことが良しとされているのをいつも感じます。

私が学生だった頃、日本である指揮者の先生の合唱の授業を受けていました。その先生はヨーロッパでの活動歴の長い先生でとても個性的な人で、まさにフランスで私が見ることになるToléranceな姿勢をいち早く教えてくれた人です。

その先生の合唱の授業では、ブレスの位置や歌詞表現あるいは音楽のフレーズの作り方などで歌う生徒たちの間で曖昧な点が出た場合、一方的に解答を提示するような指導は絶対にされず、必ずアンサンブルのメンバーにそれぞれの意見を出させお互いの意見を尊重するような教え方がなされていました。
たとえばフレージングで曖昧なところがあれば、「ここはどういう風にフレーズを作るべきだと思う?」と先生が生徒たちに質問をし、誰かが「こうだと思います」と答えれば「どうしてそう思う?」と理由を聴きます。「ふむふむなるほど、では他には?」と必ず別の生徒にも質問。別の生徒が「ここの歌詞はこういう意味だし和声はこうなっているから、ここでブレスをしないでこっちでそろえたほうが良いと思います」と言えば、さらに「なるほどね、他にはアイディアない?」とつづけ、その場にいる全員が「こうじゃないの?」というそれぞれのアイディアを論理的な説明と共に出しきってから、はじめて指揮者の先生自身が「僕はこの作品の時代背景と書法から考えて、こうだと思うけど、どう?」とアイディアを出し、アンサンブルでどの歌い方を取るか決めていきます。先生は、生徒たちのアイディアが明らかにスコアリーディングのミスをはらんでいるような特別な問題がない限りは否定はしませんし、時には「僕はこうだと思ってたけど、○○さんのアイディアは面白いね、それでやってみようか!」と喜んで生徒の意見を取り入れていました。
全員がそれぞれの意見を出して、各人がなぜそう歌うのかに対して理論的な説明を付け、誰が間違っているとかどれが正しいではなく、その時そのアンサンブルでどの歌い方を取るか、お互いの意見を尊重しながら決めるだけで、先生は常にどれが絶対的に正しいという言い方は避け、生徒たちには「教師は間違えることもあるし、自分の考えも変わっていくものだから、常にスコアを見て何がいいか自分で考えていきなさい」と言っていました。
学生の頃は、珍しいタイプの面白い先生だなと思っていた程度でしたが、今になってみれば、まさにこの先生が生徒たちに教えていたことこそが、音楽を演奏する上で大事なToléranceの姿勢だったんだと思うのです。


そもそも演奏に、「絶対」は、存在しません。
また、「正当な演奏」という価値観を全員が共有していると思うのも間違えで、生の音楽活動、生きた芸術の現場では、様々な人の様々な考え方から生み出された多種多様な演奏のあり方が許容されているべきでしょう。
音楽学的に正しくない事をやったとしても、誰がそれを責める権利をもっているでしょうか?
演奏家は誰かの音楽を再生するマシーンではなく、一人の人間であって、それぞれが自分の意思で自分の音楽を紡ぎます。もちろん、聴いている側には好き嫌いがあるでしょうが、好き嫌いと、拒否や否定は、別のこと。

フランスではどんな授業でも、先に紹介した合唱指揮者の先生のように、意見の不一致があればそれぞれ発言をしますし、論理的に納得できるまでお互いのアイディアを説明しあって、どれにするかをアンサンブルごとに決めていきます。
ソロの授業であっても、教師は生徒が自身の解釈で作り上げた演奏が自分の解釈と違うと思った時には「あなたはここをこう歌ったのね、どうしてそう考えたの?」と質問をしたり、「その解釈は面白いね、僕はこう弾いていたけど君のやり方もアリだな」と受け入れたりで、あからさまに譜読みを間違っているのでもなければ「それは違うよ」とは言いませんし、もし違うと思われるときは、生徒が論理的に納得できるきちんとした理由を付けて説明をしてから「だからこういう歌い方じゃなくこうした方が良いと思うけど、どう?」とサジェストします。
これだと、生徒は俄然、音楽を演奏することに自主的にもなりますし、やる気と知的好奇心がある生徒は自分でさらに勉強をして、時代様式や演奏法の知識をさらに増やしていけます。

日本の古楽ファンの間では、しばしば「これが正しい演奏法だ」とか「正当な解釈はこう」とか、「最新の研究ではこうだから」といった発言を目にします。フランスでは逆で「所詮数百年前のことで誰にも何が正しいか絶対にはわからないのよ」とか「こうだと思うけどもっと研究したら別の可能性がでてくるかも」といった発言をしょっちゅう耳にします。
それぞれの姿勢は、それぞれに利点と欠点を持っているでしょう。日本の人々の研究熱心さや真摯さは、確かに音楽の世界でも有名で、良く「絢子は日本人だから、勉強熱心よね」と言われるぐらいで、胸を張れる良い所でしょう。でも、場合によって、この勉強熱心さが、自分の研究成果と辻褄が合わない他者のあり方を簡単に否定してしまう排他的な姿勢につながることがあるのはとても残念です。

私は特にフランスの生き方が性に合っていて居心地が良いため、この環境に慣れてしまうと、日本の古楽の世界はなんだか狭苦しそうに見えることがたまにあります。古楽だけではなく音楽も、社会もそうかもしれません。

私にだって「ちょっとこの演奏はなぁ」と思う演奏はたくさんあります。個々人の好き嫌いはあって当たり前だし、良いのですが、本来は好き嫌いの問題でしかないものを自分の知識で武装して相手を攻撃するような真似はしなくて良いことでしょう。私も「ちょっとどうかな」と思うものに出くわしても「まぁその演奏家のチョイスだからね」と思って別にそれ以上でも以下でもない対応をしますし、場合によっては私が良いと思わないものに、自分では気が付かない何かがあるかも、と思ってしつこく掘り下げて考えてみたり聴いてみたりすることもあります。

別の人の生き方、別の人のチョイス、別の人の演奏を、その人はそういう風にやっているんだな、と受け入れるぐらいのToléranceがなかったら、そもそもイザコザが多すぎます。
自分が好きと思わないものを「それは正当ではない」」なんて言い方でいちいち否定していたら、せっかく持っている美しい知識が他者排除の醜い武器になってしまうだけ。知識は、人を攻撃するために使うのではなく、自分を表現するために使えば良いもの。誰かがやっていることとは別のアイディアがあるのなら、その人を攻撃するよりも、自分で「これがいいと思う!」というアイディアを音にして表現すれば良いのです。文化の多様性はそうやって保たれ、豊かになっていくのだから。

そう、日本はしばしば、絶対的に正しいものがあると信じることで、うっかりそれにはまらない人やものを否定してしまいますし、相手に対して「それはたんに無知だからそんなことやってるだけだぞ」と知識でもって批判攻撃することで、単なる不寛容を知識に基づいた正義に変換してしまうことがある気がします。
知識や研究を盾に、実は差別や排除を正当化する図式は、音楽だけでなく、むしろ生活全般に言えることで、昨今問題になっている排他的な日本社会の雰囲気も、もしかしたらここに繋がっているかもしれません。

フランスでは、特に古楽の演奏法はアンサンブルごとに異なっており、それぞれが自分たちのアイディアで最大限良い音楽を紡ぐべく努力をしています。他のアンサンブルがこんな風に歌ってるからそれに合わせよう、とか、大多数はこう演奏してるからこれが今の一般的な解釈、といった思考はあまりしません。逆にこのアンサンブルはどういうコンセプトからどんな演奏法をとっているのか?とか、どういう美的感覚で音を作っていくか?という個別の質問と無数の答えが、古楽演奏の世界をどんどん豊かにしている印象です。

「この演奏は正当的じゃないからね」なんて言って、自分の好き嫌いを変に理論で武装しなくちゃいけない理由なんて、どこにもありませんし、「私は好きじゃない」なら「私は好きじゃない」というだけで良いでしょう。
そして、ネガティヴなことを言うよりも、「私は最近こんな研究を読んで、むしろこういう演奏はどうかな、と思ったんだよ」といったポジティヴでクリエイティヴな発言を増やしていくべきじゃないでしょうか。

Toléranceを基礎に、自分のクリエイティヴィティを自由に発揮していける空気を作ることは、文化活動を豊かにする有効な方法だと私は思っています。
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Profil

辻絢子  (Ayako TSUJI)

Author:辻絢子 (Ayako TSUJI)
フランス在住のソプラノ・ピアニスト・クラヴィシテリウム奏者・音楽学者。パリ・ソルボンヌ大学中世音楽演奏マスター在籍。パリEnsemble Arquémie主催。
中世から現代に至る幅広い時代様式の演奏法と音楽理論を操る歌手、講師として国際的に活躍中。
15世紀以前の作品、とくにアルス・シュブティリオル様式の作品演奏と、13世紀ノートルダム楽派様式の即興演奏を得意とする。
古楽だけではなく現代作品にも関心が高く、日本で大学生&院生だったころは美学芸術学を専攻し音楽に限らずアートや映画、文学など幅広い分野を対象に20世紀以降の作品を研究。
パリでの演奏活動の他、2016年より「中世音楽センター」を立ち上げ、ヨーロッパの現役中世音楽専門家、演奏家と日本の生徒をつなぐ講習会やコンサートを企画している。

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