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古楽だけじゃ足りない!

今年度に入り、私生活も充実、クラヴサンでの通奏低音の仕事も受けるようになった途端、あちこちでコンサートに呼ばれることが増えすっかりブログ更新率が減ってしまいました。
実生活が充実しているので良いのですが、せっかくブログを楽しみにしてくださっている方(がいるとしたら)には申し訳ないです。
古楽を中心に書くブログ、とはしてきましたが、私自身の活動が特に今年はモダンとの半々になっているので、現代音楽について少し書いてみようかなと思います。

私はテノールからソプラノまでの3オクターヴ半、全声域を客席後ろまで鳴らせるだけの声量で使える奇跡のようなありがたい声帯を持っています。声の大きさや声域、音色はテクニックだけでなく生まれ持ったものもあり、私は特に強靭な声帯を持っていたことと、頭蓋骨等共鳴が良かったようです。もちろん響きが美しく表現力が特に豊かな声域はメゾからソプラノにかけての音域ですが、特に低音域の倍音が豊かなので低い曲を歌うことが最近は増えました。
そしてこの幅広くて柔軟な声は、古楽だけに使うにはもったいないと私も、周囲も、思っています。

オペラは別として古楽声楽をやっていて普段使う声域は2オクターヴを超えることはありません。それどころか15世紀を中心にして歌っている私はだいたい一曲で1オクターヴも動けばずいぶん幅広いなぁと感じるぐらい。
とはいえ一般的なロマン派アリアなどはレパートリーにしている歌手も多いですし、私自身それほど興味がある作品も少なかったり。

というわけで私が狙うのはコンテンポラリーです。
3オクターヴ半一曲でフルに使えるレパートリーも、コンテンポラリーならあり得ます。
そもそも小学生の頃から現代曲が好きでしたが、最近は古楽と現代声楽曲との間に練習段階での差を感じなくなりました。

よく、古楽と現代曲を同時に歌っていると話すと
「あぁ、どちらもビブラート使わない歌い方が似てるものね」
と返されることがあります。
私自身はそこには共通点を感じていません。
むしろビブラートは曲ごと、フレーズごとに使うか使わないか決めればよいもので中世作品でも使うことは大いにあり得ます。ビブラートの質を管理すれば、声の魅力として積極的に武器にできます。現代曲でも、ドラマチックな表現が求められているオペラなどは、私は書かれていなくてもビブラートを入れます。

私自身が感じる現代作品と古楽の似ているところは、むしろ
『楽譜がそもそもすぐ読めない書き方されてることが多い』
『小節線がないことが多い』
『エクリチュールに合わせて曲ごとに歌い方を考えなきゃいけない』
『たまにポリリズムや取りにくい音程などソルフェージュのエクササイズになるようなパッセージが出てくる』
とかいった、技術的なところ、
そして何より
『自主性と好奇心がないとそもそも勉強できない』
という精神的なところにあります。

そう、興味がなければ小難しい現代曲なんて楽しく勉強できないのです。
そしてこれは複雑で不可思議な中世作品やルネサンスの手の込んだシャンソンも同じ。

また、現代とは異なる記譜法を使って書かれた古楽作品を演奏することで得られる経験と同様、現代作品に関わることで得られる視点は音楽をやる上で非常に尊いものです。
今生きてる作曲家がどんなふうに音楽と向き合っているかを知ることなくして、過去の作曲家が音楽の歴史上でどんなことをなしてきたのか本当に知ることはできない気がします。

私にとって演奏とは、過去から受け継がれてきたものを再現する作業ではありません。
もちろんそうした価値観で演奏をされている奏者の方々も沢山いるでしょうし、そこに価値がないと言っているわけではなく、そうした演奏家の方々のことは心から尊敬しています。でも私は、それを選びません。

私にとって演奏は、「いま」「ここ」で「私」が音楽を通して何かを変える行為。

現代曲を演奏することは、新しい作品の創造に関わることです。そもそも現代曲は古典派やロマン派、バロックと比べると、歌われた回数が絶対的に少ないですから、「この曲はこう演奏する」というモデルがありません。完全な新曲の場合は、楽譜から自分で演奏を0から組み立てます。
私にとっては、中世作品の演奏時もこれと同じ感覚です。
お手本の演奏がなかったり、あっても数が少なく絶対的なバージョンなんてないジャンルです。
紙に書かれた情報から音にするのに、0から自分で考えなければならないのです。
まさに「いま」「ここ」にいる「私」が自分の知性で組み立てた音楽を発表できるわけで、それが素晴らしければ、その作品を聴いた人を変え、新たなファンを増やしたり、作曲家にさらなる新しいインスピレーションを与えたりできるんです。

ロマン派の有名なアリアでこれをやろうとしたら、どれだけ難易度が高いでしょう!
聞きあきるほど聞かれている作品では、なかなかできない体験なのです。

また、現代の作曲家がどんなことを考えて音楽を書いているか、色々な人の言葉を聞くことはとても勉強になります。
私が特に好きなのはフランス語だと「Rebelle」と言われるような、型破りでアンチ・アカデミズムな作曲家や、いわゆる上品なクラシック音楽の世界から飛び出して好奇心の向くまま様々な音楽経験を経てきたような作曲家。
とはいえ、自分の声と作品の相性もあるので、必ずしもこうした作曲家たちの作品ばかりを歌えるわけでもないのですが。
今やすっかりアカデミズムの主流になりつつあるスペクトル楽派の声楽作品は、美学的には必ずしも私の趣味と合致するわけではなかったりしますが、私の声や表現と相性が良いケースが多く、ある程度メインのレパートリーとして今後も歌っていこうと考えていたりも。
今年は日本でも公演があるサーリアホの『Amour de loin』は、「21世紀にもなってこんなありふれた無駄に長いオペラ書くなんて、売れっ子だからできるだけでわざわざ演奏する意味ないよなぁ、ある意味現代音楽業界のイージーリスニングだよね」と思っていますが、私の声にベストマッチ、さらに舞台が中世。ということで来月にはコンサートで一部抜粋をピアノ伴奏で歌います。
しかも、実際に歌うと声と相性が良いことから、魅力的に歌える自信や、どう演奏するかのアイディアも豊富に出るため、結局この曲が好きになってしまうという罠までついてきます。(笑)

ともかく。
私はもともとが古楽から出発したわけではなく、この現代音楽に関わる経験から出発しました。
古楽というと、古い音楽だから、と奇妙なアカデミズムに染まってしまいがちかもしれませんが、私にとって古楽はそういうものではなく、もっとパンクでロックでアヴァンギャルドな何かですし、そもそもアカデミズムなものは私は好きではありません。

音楽業界の常識としては、アカデミズムと仲良く、波風立てずにやってたほうが経済的に成功するのですが、どうも私にはそれは無理なようで、しばらくは独自路線を突っ走り続けるつもりです。
こういう生き方をしていると、反発もあれば敵も増えるし、自分が生み出す結果が素晴らしくなかったら誰もフォローには入ってくれないという欠点が多いですが、そのマイナスポイント全てを上回る良い演奏ができることがたまにあるので、その瞬間のために我慢です!
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Profil

辻絢子  (Ayako TSUJI)

Author:辻絢子 (Ayako TSUJI)
フランス在住のソプラノ・ピアニスト・クラヴィシテリウム奏者・音楽学者。パリ・ソルボンヌ大学中世音楽演奏マスター在籍。パリEnsemble Arquémie主催。
中世から現代に至る幅広い時代様式の演奏法と音楽理論を操る歌手、講師として国際的に活躍中。
15世紀以前の作品、とくにアルス・シュブティリオル様式の作品演奏と、13世紀ノートルダム楽派様式の即興演奏を得意とする。
古楽だけではなく現代作品にも関心が高く、日本で大学生&院生だったころは美学芸術学を専攻し音楽に限らずアートや映画、文学など幅広い分野を対象に20世紀以降の作品を研究。
パリでの演奏活動の他、2016年より「中世音楽センター」を立ち上げ、ヨーロッパの現役中世音楽専門家、演奏家と日本の生徒をつなぐ講習会やコンサートを企画している。

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